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お寺の歴史
奈良時代

奈良時代
神亀四年(七二七)、行基が鳳凰寺を詣で、拝石を見て謹んで太子の足跡を彫ったと伝えられています。鳳凰石は今も明教寺にあります。 天平宝字八年(七六四)、孝謙天皇が和泉国日根郡よりの行幸の折り立ち寄ったところ、佛の教えが明らかになったことから、高鷲山鳳凰堂明教寺の号を賜ったといいます。その時、随行の官人たちが支那津川の中の島を掘ると清水が涌き出たことから、人々は島の泉といい、以来この地を島泉とよぶようになりました。ちなみに、明教寺の住職の姓は不死川(しなずがわ)です。
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