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2006年12月アーカイブ

2006年12月の言葉と法話

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「すくいとは良い果を得ることではなく、確かな因を得ることである」


法話
どの宗教も「すくい」ということを説いていますが、「すくい」とはどういうことでしょうか、また「すくわれる」とはどうなることでしょうか。
 一般に救い とは、願いが叶うとか、苦しみが解決するとか、良い結果を得ることをいいますが、仏教で救いとは、自我の満足する良い結果を得ることではなく、確かな因を 得ることです。因とは、依りどころ、支え、土台であり、仏地に樹つことです。
 確かに良い果を得ることは、うれしいことです。人々は良い果を得たいと願っ ています。しかし良い果を得たとしても、それがいつまでも続く保証はありません。どこまでも一時的なことです。無常の世の中、いつ悪い果がおこるかわかり ません。良い果を得ることではなく、確かな生きる支え、依りどころとなる因を得ることでなければ本当の救いとはいえません。
 ある念仏者の言葉に、「これ から先の人生は幸か不幸かしらねども、どちらになってもよろしいと確かな覚悟ができました」とあるように、どっちに転んでも大丈夫といえる因を得ることで す。
 「災難がこないように祈るのが信心ではない。災難がきても引き受けていける力を得るのが信心です。」私たちは災難に会いたくないです。しかしいつ災 難に会うかもしれない。災難がきた時も、受けとめていける土台となるもの、支えを得ることが救いなのです。
 相田みつをさんの詩に、「根さえしっかりして いれば 枝葉はどんなにゆれたっていいじゃないか 風にまかせておけばいい」とあるように、人生の根をしっかりと身につけることがたいせつなのです。大切 な根を忘れて、枝葉を立派に伸ばそう伸ばそうと頑張っていませんか。 仏教を聞くこと、聴聞とは、内装工事でも補強工事でもありません。どこまでも基礎工 事であり、人生の土台工事です。

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