MYOKYOJI

2007年2月の言葉と法話

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「迷いとは進む道がわからないことであり、救いとは進む道が明らかになることです」


言葉と法話
 大乗誌二月号に、末期癌で入院した知人が、病院長に「これから私はどうなるのでしょう。 どこへ行くのでしょうか」と尋ねたそうです。 もし同じ問いを私になされたら・・・・・・ 私はそれに答えるすべを持っていないことに愕然とし、これは大変なことだ、どうしたらいいのかと、あれこれ模索した結果、 「宗教の心」が必要なことに思い至り、中央仏教学院の 通信教育を受講したそうです。数年が経ち、医師である筆者は、真宗のみ教えを通して "いのちの行き先"を見つけ、「知人の一言が、 私をここまで導いてくださいました」とありました。
 もし皆さんに、この問いがなされたら、どう答えますか、答えることができますか?
 私たちはいま、この世に生を受けていますが、このいのちはどう生きようとしているのか、 どこに向かって生きようとしているのか、またどこに帰っていくのでしょうか。この問いに答え ているのが浄土真宗のみ教えです。
 進む道がわからないことを迷いといいます。迷いとは どっちにしようか決断がつかないこと、進む道がわからないことです。救いとは、進む道が明らかになることであり、 いのちの行き先が見つかることです。安心して生き、安心して命終えていける道が見つかることです。
 以前あるご住職から、こんな年賀状をいただきました。「いのちの行方への定まらぬ人は、 いくら地位やお金があっても、頭が良くても、健康な人でも、また人柄が良くても、むなし く寂しく命終えると親鸞聖人は教えてくださいました。」  以前、村はずれで、道が別れている所に、お地蔵さまが立っていられました。何故立っていられたかというと、「道に迷うなよ、確かな道を進みなさい」 と心配してくださっているのです。そして「確かな教えに出遇ってくれよ」と願っていられるのです。
 阿弥陀如来は、進む道を見失い迷っている私たちに、お願いだからお念仏を生きる支え として、私の国であるお浄土に生まれて欲しいと願いと建てられ、お浄土への道を示してくだ さっているのです。
 現代は浄土を失った時代であると言われています。 浄土を失っているからこそ現代人は生きる方向を見失っているのです。 浄土とは死んでからの問題ではありません。いま私たちに真実の生き方をよび覚まし真実に 生きる道を示してくださっているのです。浄土真宗は浄土まいりの教えではありません。浄土への道を問い、聞いていくみ教えです。
 この道は、生死(まよい)を超えていく道であり、苦しみ多き人生、苦しみを乗りこえていく無碍の一道を歩ませていただくのです。
 死んでいくだけの寂しい人生と思っていたが そうではなかったお浄土に生まれ、仏さまに成らせていただく人生だったと知らせていただくのです。

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