MYOKYOJI

2007年9月の言葉と法話

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・念仏とは"真実にめざめよ"という いのちのメッセージです。
・念仏とは人間の忘れているものをよびさます いのちのよび声
・念仏(よび声=名号)とは 生きて働く仏さまです


法話
 八月の二十一日から三十日までモンゴルとロシア・バイカル湖近くの日本人墓地に参拝に行ってきました。
 モンゴルは、十四年前に行ったことがあり 、今回が二度目の訪問です。前回、 ウランバートルの空港に降りた時、一面の草原の美しさに大変感動した。しかし今回 は少しの感動もなかった。またウランバートルの町が一望できるザイサンの丘に登った 時もそう感じた。多くの建物が建ち、違った景観になっていた。美しい自然が破壊され ているのです。
 だが町を離れた場所に行くと、手つかずの自然がそのまま残っている。やはり美しい。 自然とは本当に偉大であると感じる。町の発展も大切なことであり、人間が生きていく 上に必要なことであるが、一度壊したらもう二度ともとに戻らない。よくよく考えて 発展を考えなければいけないと痛感した。モンゴルの大自然がそう叫んでいるのです。
 しかし人間のハカライは完璧なものではない。その時はこれで良しと思っていても、 後で苦しむことも多い。お念仏とは、私たちがハカラッて苦しみ、迷い、争っているか ら、如来の方から"真実にめざめよ""ハカライを捨て我にまかせよ"という、如来の 呼び声です。大いなるいのちの世界からの叫びです。仏さまが声となって言葉となって 我を生きる支えとしてくれと働いてくださっているのです。
 人間とは、どこまでも煩悩具足の凡夫です。つねに自我のメガネをかけて自分の見たい ようにしかみていないのです。同じものを見ても人によって見方は違うのです。十人十色 です。それなのに自分の見たものが正しいと思いこむし思い通りに行かなくなると苦しむ のです。争うのです。迷うのです。
 それ故に、阿弥陀如来はありのままの世界(如)から来てくださって、お念仏となり 私たちに仏の智慧と慈悲を支えてくださるのです。私たちは死ぬまで、自我・我執・ ・ハカライを失くすことができないからこそ、お念仏を生きる支えとして、お念仏申して 生きねばならないのです。

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