MYOKYOJI

今月の言葉と法話

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 ひとそれぞれ 気が強かろうが弱かろうが 光に遇えば青色青光 白色白光

 どこまでも自分が可愛い 身勝手と自己保身 これが逆に我が身を縛りあげている苦しみの元凶

                                                    浅田正作

法話

 『阿弥陀経』に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」とあります。どんな意味かといいますと、お浄土の蓮の花は、色や形は違っても仏の光に照らされて、それぞれ光り輝いているということです。私たち人間もみんな違います。顔、性格、才能、男女、貧富・・・。みんな違ってみんないいと言う言葉もありますように、くらべなくていいのです。くらべるから苦しむのです。人とくらべず、与えられたいのちを受けとめ、私が私であって良かったといのちを輝かせて生きねばなりません。どんな物でも、太陽の光を受けると輝くように、私たちも仏さまの光に遇うと、気が強かろうが弱かろうが、青色青光、白色白光といのちを輝かせて生きることが出来るのです。仏の光は、目には見えないが、いつも私たちを照らしてくださっています。

 私たちはどこまでも自分が可愛いです。自我・我執はなくなりませんから、気がつかないかもしれないが身勝手に生きています。困ったことが起こったら、すぐに自己保身を考えています。ありのままでいいのに、本当の自信がないから、少しでも良い自分を見せたいし、恥ずかしい自分を見せたくないから誤魔化し飾ってしまうのです。それが苦しみの元凶であり、ますます苦しみを深めていくのです。仏の光に遇うと、そのままでいい自分に自信が持てるようになるから、恥ずかしい自分をそのまま出すことが出来るようになるのです。生きていく支え、土台が身についてくるのです。

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