MYOKYOJI

3月の言葉と法話

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 愚痴いっぱい 欲望いっぱい 腹だちいっぱい 煩悩いっぱい

 恥ずかしいけれど これが私の全財産

  この私が如来さまの救いの正客(めあて)です

 

法話

 何故仏教は説かれてきたのか、観無量寿経に「除苦悩法」、ご和讃に「苦悩の有情をすてずして」とあるように、人々の苦悩を解決するためです。どう したら苦悩を解決できるのか、それにはまず苦悩の原因を明らかにせねばなりません。人はなぜ苦しむのか、それは無明煩悩と教えられています。

 無明とは真実の智慧をもたないことであり、常に自我の眼でしか見ることができず、ありのままを正しく見れない私たちのあり様です。人は自分中心の 見方しかできないから争い、迷い、苦しむのです。また私たちはどこまでも煩悩具足の凡夫です。この身は、煩悩が成就しており決してなくなりません。私の中 に煩悩があるのではなくこの身が煩悩そのものです。縁ひとつによりすぐに出てきます。聴聞をすると煩悩がなくなるのではなく、煩悩いっぱいの私が知らされ るのです。恥ずかしいけどこれが私の全財産です。

 釈尊の説法は、病に応じて薬を与える「応病与薬」ように説かれました。阿弥陀如来は煩悩で苦しんでいる私たちをすくうために、必ず救うと本願を起こされました。いまも働き続けてくださっています。この煩悩いっぱいの私たちこそが、如来さまの救いのめあてなんです。

 

 

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