なんにもわからないものが またわかったつもりで 行きづまっている
くだかれてくだかれて 無限の成長があるというのに 私はわが思いを固めることにかかりはっている
浅田正作
法話
蓮如上人の言葉に「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、心得たるなり」とあります。自分は信心について心得ていると思っているものは、まだ心得ていないのである。反対に自分はまだよく心得ていないと思い、謙虚に聴聞を重ねる人こそ、まことに信心を心得た人であると教えられているのです。 何事においても同じです。私たちはすぐに「心得た、分かった」と思いうぬぼれています。本当はほんの少しわかっただけで、実際はまだまだわかっていないのです。だから行きづまるのです。「心得た」「わかった」と思っている時がこわいのです。注意をしなければならないのです。もう思考を停止しているのです。成長を止めているのです。 人間はわが思いをくだかれてくだかれて成長していくものです。しかし私はくだかれることを恐れて、自分の殻に閉じこもり、わが思いを固めることばかりやってきたように思います。失敗しても間違っても、分かっている知っていると思い、この耳に蓋をして間違いを認めようとしてなかった、謙虚に失敗を見つめることをしてなかった。わが思い、我が破られることがこわかったのです。 仏法は念仏は、我を破り、わが思いをくだいて、私の本当の姿を気づかせてくださるのです。すぐに我を張る私の思いを、くだいてくだいてくださるのです。