ウソを言わない 人のかげ口を言わない 人にこびない みんな私に出来ぬことばかり(相田みつを)
他人のウソを怒りながら 自分は平気でウソをつく
私はウソを言ったことがないとウソを言う
法話
人間は何故、仏法を聞かねばならないのか? うそをいうからです。ごまかすからです。人の目を気にして自分を飾るからです。木や草や花や鳥や魚や虫たちは聞かなくていいのです。ありのままに生きているから、ウソは言わないし、ごまかさないし、飾らないからです。人間は自我に執着して生きているから、自分の思い通りにしたい、しかしなかなか思い通りにならないから、ウソを言ったり、ごまかしたり、飾ったりするのです。どこまでも身勝手で自己保身に生きています。これが苦しみの元凶であるのに、自分では気づけないから仏法を聞かねばならないのです。自分の目で自分の目が見えないように、私たちは人の欠点は見えても自分のことはわからないものです。ただ私たちはその欠点を無くすことができないのです。少しは抑えることはできても、無くすことはできないのです。縁次第で出てきます。「今日一日腹を立てなかったのは、自分の心が良かったからではない。たまたま腹を立てる縁がなかっただけである」。 人間の自我がなくならないように、煩悩もなくなりません。そうであるならば煩悩を無くそうと頑張るのではなく、私は煩悩具足の凡夫であると自覚することが大事なことであります。