MYOKYOJI

12月の言葉と法話

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タスカッテミレバタスカルコトモイラナカッタ ワタシハコノママデヨカッタ (竹部勝之進)

今日一日腹を立てなかったのは私の心が善かったからではない 腹を立てる縁がなかっただけです

法話

人間は縁次第でどうなるかわかりません。親鸞聖人が「さるべき業縁が催せば如何なる振舞いもすべし」と述べられているとおりです。腹を立てようと思っていても縁がなければたてられません。逆に腹をてまいと思っていても縁が来れば腹を立てるのです。私たちはどこまでも煩悩具足の愚かな身ですから。この煩悩を無くそうと思っても無くなりません。仏法に遇うとは、煩悩いっぱいの救われない私の姿が明らかになるのです。仏教とは救いの発見ではなく救われない自己の発見です。この私を阿弥陀如来は光の仏となり、照らし続け気づかせて下さるのです。そして闇を破りいのちに輝きを与えて下さるのです。仏法に遇うまでは助けて欲しいと願っていますが、仏法に遇えばワタシハコノママデヨカッタと喜べるのです。助けて下さいと願うのではありません。「助かってくれよ」との如来のよび声におまかせするだけです。

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