阿弥陀如来とは いつも私たちを照らしているほとけさまです
仏の光は 私たちに煩悩があるから光があると気づくのです 光は光だけではわかりません
法話
阿弥陀如来は、私たちが煩悩具足の凡夫と見抜いていられます。しかし私たちは自分が煩悩具足の凡夫と思っていません。なかなかそう思えないのです。人間の眼は他人の非が良く見えても、自分の非はわからないものです。それゆえ阿弥陀如来は、自ら光となり、私たちを照らし続けていられるのです。その光に照らされ、わが身が愚かな身であり煩悩具足の凡夫と気づかされるのです。煩悩があるから光があると気づくのです。光は光だけではわからないのです。 私たちが仏さまに遇えるのは煩悩があるからです。煩悩があるから救われるのです。煩悩がなければ救われないのです。 煩悩がなくなれば仏さまと縁が切れるのです。煩悩がなくなれば仏法は用事ありません。私たちが煩悩具足の凡夫であるから阿弥陀さまは、永遠の光の仏さまとなって私たちを照らし続けていられるのです。 私たち凡夫は阿弥陀さまにマカスしかないのです。