MYOKYOJI

2010年1月アーカイブ

1月の言葉と法話

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光なくして煩悩は見えない  煩悩なくして光に遇えない

法話

私たちはどこまでも煩悩具足の凡夫です。死ぬまで煩悩は無くなりません。しかし私たちは自分では煩悩が見えないのです。「自分のことは自分が一番よくわかってる」と言いながら、煩悩は見えません。どんなに賢い人でも頭の良い人でも人の欠点・愚かさはよく見えても自分のことはわからないものです。肉眼では空気中の塵や埃は見えないが、光が射してくると見えてきます。照らす光がなければどんなに汚れていても気づきません。仏の光なくして煩悩は見えないのです。私は歳を取るたびに愚かさ・恥ずかしさ・醜さを感じていますが、気づくということは必ず気づかせてくださるはたらきがあるから気づくのです。仏の光に遇うということは、目に見えないはたらきに遇うということです。これを仏のお育てと言います。         ただ光は光だけでは気づけないのです。わからないのです。煩悩があるから光に気づけるのです。煩悩なくして光に遇えないのです。煩悩がなければ仏の光は存在しません。また煩悩がなくなれば仏とは縁が切れるのです。仏法に用事がなくなるのです。私たちがどこまでも煩悩いっぱいの凡夫であるから、仏の光はいつも働いているのです。

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