MYOKYOJI

2010年4月アーカイブ

四月の言葉と法話

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人間は誰でも なれたら 当たり前になる

有り難い話を聞くのではない 有り難い いのちの事実を知らせていただくのです

 法話

人間は誰でも、なれたら当たり前になるのです。生きていることも、眼が見え、手足が動き、声を聞き話せることも当たり前になっています。そこには喜びや感謝はありません。なくなってその有り難さに気づくのです。親が妻が食事を作るのも、それが続くと当たり前になっています。あるお祖父さんは「朝、目があくと感動します」と話されていました。「余命一カ月の花嫁」という映画の中で、「朝、目があくことが奇跡です」ということばがありました。普通私たちは、生きていることが当たり前とおもい、死に直面すると驚きます。しかしいのちの事実は反対です。死ぬことが当たり前で、生きていることが不思議なのです。生あるものは必ず死にます。間違いありません。当たり前のことです。私たちは今、生きていますが.いつ死ぬかわかりません。生きていることが不思議なのです。いつどこでどうなるかわかりません。生かされて生きているのです。だが人間は誰しも、なれたら、何事においても当たり前になってくるのです。だから仏法を聞かねばならないのです。仏法を聞くとは、ありがたい話を聞くのではありません。普段すぐ忘れている、有ること難しの、有り難いいのちの事実を知らせていただくのです。

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