MYOKYOJI

2010年7月アーカイブ

8月の言葉と法話

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宗教とは 変化に対応できる力を 与えてくれるものである。

私が仏に近づくのではない。仏が私に近づき来てくれているのです。

 法話

この世は無常です。毎日毎日変化しています。小さな変化は問題はないのですが、大きな変化に会うと大変苦しくなります。生活が一変します。どうすれば苦しみを乗り越えていけるか、それを教えているのが正しい宗教です。今年は天候も不順です。暑くなったり寒くなったりの変化に対応できなければ病気になります。若い時はいろいろと変化に対応できても、歳をとれば対応できなくなります。歳をとり環境が変わったり仕事が変わるとなかなかついていけなくなります。ダウイーンの言葉はとても説得力があります。「強いものが生き残れるのではない、賢いものが生き残れるのではない、変化に対応できるものが生き残れるのだ」。 宗教は変化に対応できる力を与えるものです。苦しみを乗り越えていける力を与えるものです。救いとは良い結果を得ることではない。たまたま良い結果を得たとしても、一寸先はどうなるかわかりません。仏教でいう救いとは、変化に対応できる確かな因・要・土台・根を得ることです。人間は縁ひとつでどうなるかわかりません。確かな根っこを持っていないのです。だからふらふらするのです。根なし草のような存在です。だから確かな因・根・土台・要が必要なのです。 阿弥陀如来という仏さまは、私たちが仏に近づいて仏のような存在になるのではなく、仏の方から私のところに来て、私の土台・根・要になると働いてくださっているのです。阿弥陀如来に遇えば、苦しみの中、如来とともに生き抜き、苦しみを乗り越え、変化に対応できる力を与えてくださるのです

7月の言葉と法話

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お念仏を称えるとは 阿弥陀さまにこだますることです

お念仏を称えるとは 大いなるいのちのはたらきに おまかせすることです

 法話

阿弥陀如来は、自我中心に生き煩悩を無くすことが出来ない私たち凡夫をすくうために、長い長い間思案され、自ら南無阿弥陀仏となり、「阿弥陀仏に南無せよ」「必ず救う我にまかせよ」「真実に目覚めよ」「いつも一緒だよ」とお念仏(名号)となり、私たちによび続けてくださっているのです。そのよび声が私に届いたら、私の口から南無阿弥陀仏と阿弥陀さまが出てきてくださるのです。私の口からお念仏が出ること、お念仏を称えることは、阿弥陀さまにこだますることです。こだますることが出来たらいつも阿弥陀さまと一緒です。私の生きる大地となってくださるのです。阿弥陀さまから逃げられない身となるのです。            私のいのちは私のいのちではありません。生かされているいのちです。しかし私たちはいつも私のいのちと執着しています。我が無くならないから、思い通りにならなかったらすぐに煩悩の火が燃えて苦しむのです。いのちは、私の計らいや思いではどうにもなりません。本来我を超えて生かされているいのちであり、因縁他力のままに絶対他力のいのちであり南無阿弥陀仏のいのちなのです。この身が南無阿弥陀仏をしているのです。私たちは自力ではどうにもなりません。大いなるいのちのはたらきに、おまかせするしかないのです。お念仏を称えていきましょう。   称名

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