MYOKYOJI

7月の言葉と法話

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お念仏を称えるとは 阿弥陀さまにこだますることです

お念仏を称えるとは 大いなるいのちのはたらきに おまかせすることです

 法話

阿弥陀如来は、自我中心に生き煩悩を無くすことが出来ない私たち凡夫をすくうために、長い長い間思案され、自ら南無阿弥陀仏となり、「阿弥陀仏に南無せよ」「必ず救う我にまかせよ」「真実に目覚めよ」「いつも一緒だよ」とお念仏(名号)となり、私たちによび続けてくださっているのです。そのよび声が私に届いたら、私の口から南無阿弥陀仏と阿弥陀さまが出てきてくださるのです。私の口からお念仏が出ること、お念仏を称えることは、阿弥陀さまにこだますることです。こだますることが出来たらいつも阿弥陀さまと一緒です。私の生きる大地となってくださるのです。阿弥陀さまから逃げられない身となるのです。            私のいのちは私のいのちではありません。生かされているいのちです。しかし私たちはいつも私のいのちと執着しています。我が無くならないから、思い通りにならなかったらすぐに煩悩の火が燃えて苦しむのです。いのちは、私の計らいや思いではどうにもなりません。本来我を超えて生かされているいのちであり、因縁他力のままに絶対他力のいのちであり南無阿弥陀仏のいのちなのです。この身が南無阿弥陀仏をしているのです。私たちは自力ではどうにもなりません。大いなるいのちのはたらきに、おまかせするしかないのです。お念仏を称えていきましょう。   称名

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