私が仏教を学ぶのではない。仏教に私を学ぶのです。
仏法を聞くと、あたりまえと思っていたことが、おかげさまと気づかされる。
法話
私が仏教を学ぶのではありません。私が仏教を聞くのではありません。反対なのです。仏教に私を聞き学ぶのです。私の物差し、価値観で仏教を聞いたり学ぶのではありません。それでは自分の都合で聞き学ぶのですから、自分が問われたり気づかされることはありません。しかし私たちは自我が強く自我を無くすことが出来ないから、いつもこの姿勢で聞いたり学んだりしていないでしょうか?そうですからなかなか仏の教え、言葉が我が身に響かないのです。仏教を通して私が知らされるのです。気づかされるのです。すると今まであたりまえと思っていたことが、そうではなかった有り難いことであったと気づかされるのです。仏の智慧・光に照らされ、今までまったく気づかなかったこと見えなかったことが見えてくるのです。いのちの事実に背いてしか生きれない私の姿が知らされるのです。生かされて生きているいのちの事実に感謝できるのです。