MYOKYOJI

2010年10月アーカイブ

10月の言葉と法話

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意志の力でどうにもならないときは、好機の到来を待つしかない

人は努力をしている間は、迷うにきまったものである       ゲーテ

                                    (ゲゲゲの女房より)

法話

 九月に終了したNHkのテレビ小説「ゲゲゲの女房」の中で、主人公の長女が小学校の先生になり、最初は順調にいっていたが、だんだんと子供たちや父兄から反発され、同僚の先生からも冷たい眼で見られもう学校を辞めたいと悩んでいた時、父親が紙に書いてゲーテの言葉紹介して娘に話していました。

 自分が頑張って頑張ってもどうにもならないときがあります。良かれと思ってやったことが悪意に受け取られ反発を招くこともあります。一度誤解されたら、なかなかわかってもらえません。もがけばもがくほど苦しくなります。生きていれば誰でも一度や二度そういう経験があります。そういう状況の時は好機の到来を待つしかないのです。あせらないことです。信念を持ってコツコツやっていれば、いつかどこかでわかってくれる人が必ずいます。見てくれている人が必ずいます。  また人は努力しているときは必ず迷うものです。これで完璧ということはありません。それは思いあがりです。傲慢です。これでいいのか、大丈夫であろうかと迷うものです。その努力の過程の中で成長していくのです。「これで満足」と思ったらそこで成長は終わりです。偉大な芸術家は「これで満足」というものはありません。つねに何が真実か本当かと悩んでいます。死ぬまで迷いどおしです。 しかし宗教は違います。宗教は自分が努力して得るのではなく、向こうから、真実の方からはたらき、知らせてくれるのですから迷いが晴れるのです。仏さまの方から来て、目覚めさせてくれるのです。これを真実回向、弥陀の回向と言います。

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