MYOKYOJI

2010年11月アーカイブ

12月の言葉と法話

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皆さんにお願いしたいこと。 いのちの本当の依りどころと いのちの帰るところを見つけて欲しいです。

根さえしっかりしていれば 枝葉はどんなにゆれたっていいじゃないか 風にまかせておけばいい。

 法話

何がいのちの本当の支え・依りどころになるのか。これさえあれば生きていける、どんな状況になっても、どっちに転んでも、願いが叶わなくても、これさえあれば苦しみを乗り越えていける、真の生きる力・支えとなるものに出会ってほしいです。根がしっかりしていれば、枝葉がどんなに激しくゆれても、風にまかせておけばいい、といえるような生きる本当の依りどころとなるものを見つけて欲しいです。  そしてこのいのちはどこに向かって生きているのか、どこに帰っていくのか? 帰るところがなければ大きな不安です。真っ暗闇です。いのちの帰るところを早く見つけて欲しいです。  阿弥陀如来は、「私が必ずあなたの生きる力・支え・根・土台となるから、人と比べずあなたのいのちを輝かして生きてください。そして命尽きた時は、安心した私の国である浄土へ帰ってきてください」と、いつもよびかけていられます。    

11月の言葉と法話

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年々に、わが悲しみは深くして、いよいよ華やぐ いのちなりけり  (岡本かの子)

みずからの愚かさを知る人こそ 賢者である

 法話

 如来の智慧の光に遇えば、私の愚かさ・醜さ・恥ずかしさが明らかになり、頭が下がるばかりです。自力では救われない、如来にまかすしかないことが知らされます。しかし人は煩悩、名利心は無くならず、少しでも偉く見て欲しい、認めて欲しいという思いが強く、偉くなりたい賢くなりたいと思っていますから、自らの愚かさ恥ずかしさを知ることは大変難しいことです。「賢くなることばかり教える世の中に、水かろの愚かさを気づかせる教えこそ、人間の道である」と、あるように 仏法に遇えば、真実に遇うと不実が、光に遇うと闇が明らかになるように、自らの愚かさが知らされるのです。私のありのままに気づくのですから、その人こそ賢者なのです。 光に遇えば闇が知らされるから、わが悲しみは深くなるばかりです。しかし光に遇うということは闇を気づくと同時に、闇が破れるのです。我が身が光に照らされるから、我が身がそのまま輝くのです。いよいよいのちが華やぐのです。

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