MYOKYOJI

11月の言葉と法話

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年々に、わが悲しみは深くして、いよいよ華やぐ いのちなりけり  (岡本かの子)

みずからの愚かさを知る人こそ 賢者である

 法話

 如来の智慧の光に遇えば、私の愚かさ・醜さ・恥ずかしさが明らかになり、頭が下がるばかりです。自力では救われない、如来にまかすしかないことが知らされます。しかし人は煩悩、名利心は無くならず、少しでも偉く見て欲しい、認めて欲しいという思いが強く、偉くなりたい賢くなりたいと思っていますから、自らの愚かさ恥ずかしさを知ることは大変難しいことです。「賢くなることばかり教える世の中に、水かろの愚かさを気づかせる教えこそ、人間の道である」と、あるように 仏法に遇えば、真実に遇うと不実が、光に遇うと闇が明らかになるように、自らの愚かさが知らされるのです。私のありのままに気づくのですから、その人こそ賢者なのです。 光に遇えば闇が知らされるから、わが悲しみは深くなるばかりです。しかし光に遇うということは闇を気づくと同時に、闇が破れるのです。我が身が光に照らされるから、我が身がそのまま輝くのです。いよいよいのちが華やぐのです。

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