仏法は 自分の存在が問はれなければ 我が身に響かない
人間謙虚になれば 周りの働きが よく見える
法話
人間は謙虚にならなければ、周りの働き、私を生かしている、支えている、許している、我慢されているはたらきが見えないのです。人間はどこまでも自分中心に生きていますから、なかなか謙虚になれないのです。すぐに自分一人の力で生きている、だれにも迷惑かけていないと思いあがっています。何が謙虚にさせないのか? プライド・地位・過去の栄光・学歴・年上・僻(ひが)み・嫉妬・羞恥心・・・・いろいろあると思います。では謙虚になるにはどうすればいいのか? 自分を知ることです。本当の自分に気づけば謙虚になれます。自分の実力やいまの状況、長所や欠点、ありのままの私を知ることです。私を知れば、私を生かしてくれている働きに気づき、いま私が何をすればいいのかということが見えてくると思います。仏法を聞いても学んでも、自分が、我が身が私の存在が問はれなければ響いてこないし、生きる支えにはなりません。「あ、自分のことやった」と気づけば、聞くことも楽しくなるし、喜びになってきます。