MYOKYOJI

4月の言葉と法話

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縁起とは、ともに助け合って生きることです。

慈悲とは、他者の苦しみ悲しみを、自分の苦しみ悲しみとすることです。

 法話

 3月11日東日本に未曾有の大地震、津波が起こり多くの方が被災されました。大変悲しい苦しい辛いことですが受けとめていくしかありません。この大震災を日本人全体で受けとめ、心を一つにして復興に向けて協力し支え合っていかなければいけません。またこの震災が、いのちを見つめる機縁となればと願います。今日の日本人は、子供の虐待、年金詐欺、食品偽装などに見られるように、いのちを損なう事件が続発していました。拝金主義になり、損得中心で打算的になり、ますます自己中心になりいのちを見失なっていました。人生何が起こるかわかりません。一寸先は闇です。かけがえのないいのちです。人間が生きるということについて何が大切かを見つめる機縁となることを願います。仏教の中心思想である縁起ということは、何一つとしてそれ自体で存在するものはなく、すべて縁起により存在しているのであり、お互いがお互いを支え合って存在していることを教えています。人間は日々縁起に背いて生きています。自分一人の力で生きていると思いあがっています。生きるということはどれほど多くの働きに生かされて生きているのです。いのちの事実に気づいてほしいです。縁起に生きるということはともに助け合って生きることです。そこから慈悲が生まれてくるのです。他者の苦しみ悲しみは、自分の苦しみ悲しみとなるのです。他者の苦しみ悲しみは他人事ではないのです。何とかせずにおれないと我が苦しみ悲しみとなるのです。自分の出来ることを精一杯させていただくのです。朋に生きるのです。

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