MYOKYOJI

2011年9月アーカイブ

9月の言葉と法話

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人が生きるとは、我が身可愛さに徹し、自分中心に生き、多くの罪を作っています。その私たちが阿弥陀仏に許され、抱かれているのです。私が私として生きれるのは、この許しがあるからです。(駒沢勝)

 法話

人は誰でも我が身可愛さに徹して生きているのです。仏典にある王が、美しい王妃に「そなたはこの世で誰が一番愛おしいか」と質問すると、「王さまには悪いですが、私は私が一番愛おしいです」と答えた話があるように、我が身が一番可愛いものです。そしてどこまでも自分中心に生きているのです。この自分勝手な私たちを救おうと阿弥陀如来は、そのままのあなたを必ず救う、決して見捨てないといつも働き続けているのです。阿弥陀如来に、煩悩いっぱい、欲望いっぱい、腹立ちいっぱい、愚痴いっぱいの私が、そのままで許され、抱かれているのです。この恥ずかしい私が、このままで生きていけるのは、阿弥陀如来の許しがあるからです。そこに私が生きていける根拠があるのです。私は「私が私として生きれるのは、この許しがあるからです」という言葉に出遇った時、とても我が身に響いてきました。

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