MYOKYOJI

3月の言葉と法話

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この無常の世の中で、真実なるもの、本当の支えとなるものは、ただ念仏しかありません。

真実なるものが見つかりましたという叫びこそ、念仏です(平野修)

生きんかな、本当に生きんかな、ただ念仏して(竹部勝之進)

  法話

歎異抄の最後に親鸞聖人が「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」と仰せられています。この無常の世の中で、変わらず真実なるもの、どんな状況になつても本当の支え、依りどころとなるものは念仏しかないのです。一寸先が闇で何が起こるかわかりません。いつ事故や病気やリストラヤ災難にあうかわかりません。その時には自分が築いたもの、集めたもの、積み上げたもの、つかんだものは役に立ちません。本当の支えになりません。真実なるもの、本当の支えになるものは、どんな状況になつても変わらず、いつでもどこでもどんな時でも生きる力・支え・依りどころとなるものです。それは私たちを生かしめている、ありのまま(如)の世界から(来」て、「真実にめざめよ」「我にまかせよ」「阿弥陀仏に南無せよ」とよび続けているお念仏しかないのです。 その真実なるものが見つかりましたという感動の叫びが、念仏を申すということです。 そしてただ念仏して生きることが本当に生きるということです。

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