あれは嫌い、これは駄目、あいつは困る、こいつは・・・と切り続ける。私はどうもハサミのようだ。(平野 修) 自力で生きていると思っていたが、実際は他力で生かされていた。
法話
私たちの眼はいつも自我のメガネをかけ、見たいようにしか見ていないのです。本当にハサミのように自分勝手に切り捨てています。「みんなちがってみんないい」という言葉がありますが、これは仏さまの眼差しです。私たちはそんな眼差しをもっていません。自分の都合で、勝手な思いでハサミのように切り捨てています。普段はその自分に何の恥ずかしさや罪悪感を感じません。それが当たり前と思っています。しかし仏法を聞くと、仏法が我が身に届いてくると、自己中心的な自我のメガネをかけている私が知らされ、我が身の愚かさ、恥ずかしさ、悲しさに気づかされるのです。そして仏さまの眼を生きる座り、支えとしていくのです。 仏さまの眼で見ると、今まで自分の力で生きてきたと思っていたことが、すべて他力によって、おかげさまの中で生かされていたということに気づかされるのです。