MYOKYOJI

10月の言葉と法話

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眼は光がなければ何も見えない。光に照らされて、眼が開くのです。

仏の光により、心の眼が開けば、自分の愚かさが見えてくる。

 法話

人間の眼は、借光眼と言われます。光がなければ何も見えません。太陽の光、電気の光により眼が機能し見ることができるのです。真っ暗闇では何も見えません。眼があってもないのと同じです。光に照らされ眼が開くのです。 私たちの眼は自我のメガネをかけています。見たいようにしか見ていないのです。自分のモノサシで、好き嫌いで、価値観で、狭い見方で見ているのです。大切なことを見逃し、自分自身さえも正しく見ることができません。 仏の光に照らされてくると、心の眼が開いてくるのです。そうするといままで見えなかった自分を生かしてくださっている働きや、自分の愚かさ・恥ずかしさ・罪深さが見えてくるのです。心の眼が開いたから見えてきたのです。自分では見えません。仏の光により見えてきたのです。そうすると愚かなまま・煩悩いっぱいの凡夫のまま、光の中に照らされ、いのちが輝いてくるのです。

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