MYOKYOJI

2014年9月アーカイブ

9月の言葉と法話

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念仏に遇うとは、このままの私でよかったと、自分が呼びさまされることです。自分が取り戻せるのです。   命の帰る処は見つかりましたか、まだ間に合います。

 

法話

人間はすぐに自分を見失います。人と比べたり人の眼を気にして、落ち込んだり、背伸びして良いように見せようとします。念仏は、「そのままでいいんだよ、そのままのあなたを救う」といつもよび続けてくださっています。念仏に遇うことにより、このままの私でいいんだと、自分を取り戻せるのです。このままの私でよかったと自分が呼びさまされるのです。現実は何もかわっていないが、現実に安心できるのです。それはいつも念仏が支え、生きる土台となっててくださっているからです。  この命はどこに向かって生きているのか、どこに帰るのか、大きな問題です。誰しも必ず命終える時が来ます。命の帰る処が見つからなかったら不安です。阿弥陀如来は「安心して我が国である浄土へ帰っておいで、我にまかせよ」と念仏となりよび続けていられます。念仏に遇うということは、いのちの帰る処が見つかりましたということでもあるのです。見つかっていない方、まだまだ間に合います。念仏に遇いましょう。

 

 

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