MYOKYOJI

2014年11月アーカイブ

11月の言葉と法話

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聞法とは、ありがたい話を聞くのではなく、ありがたい事実にめざめるのです。

 

法話

仏教の話を聞くとは、仏さまのありがたい話を頭や心で聞くのではなく、いま仏さまに生かされている事実にめざめるのです。わが身に知らされるのです。いくらありがたい話を何年も聞いても、我が身が問われなかったら生きる喜びや支えになりません。ただ話を聞いたで終わります。いま生きている命は私の命ではありません。生かされている命です。自分で作ったものは何もありません。しかし人間は自我が芽生えると命を自我で握り、私有化し、自分の命と錯覚しているのです。真理に背いているのです。話を聞くことにより、生かされている事実を知らされるのです。人間は死ぬまで自我・我執はなくなりません。死ぬまで煩悩具足の凡夫です。仏さまはその私たちを救おうと働き続けていられます。決して見捨てず必ず救うと誓っていられます。聞法とは、そのありがたい事実を気づかせていただくのです。

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