死んだらしまいという人は、今生かされているといういのちの事実を知らないのです。
念仏とは、阿弥陀如来が私の口から出てくださっているのです。私が称えるのではない。
法話
現代人は、死んだらしまいとか死んだら無になると思っている人が多いです。この人たちは今生かされているといういのちの事実に気づいていないのです。生かされて生きている命です。自分の力で生きていると思っているから、死んだらしまいと思っているのです。この命は自分のものではありません。自分で作ったものは何もありません。無量の寿(いのち)にささえられ生かされて生きているのです。一週間も命をいただかなければ生きていくこともできません。この世の命が終われば、無量の寿の世界に帰っていくのです。この命の事実に気づかず迷っているから、無量の寿の世界から阿弥陀如来が「私の国に生まれて欲しい」「必ず連れて帰る」と念仏となりよび続けていられるのです。念仏とは私が称えるのではありません。私の思いやハカライでいくら称えても救われません。自分の勝手で称えて救われるはずはありません。阿弥陀如来が念仏となりあらゆる功徳を込め回向してくださっているのです。阿弥陀如来の力で救われるのです。念仏を称えるとは阿弥陀如来が私の口から出てくださるのです。それゆえ「みほとけをよぶわが声は、わが声ながら尊かりけり」です。