念仏を称えるとは、この世の真理に従います、ということでです。
悲しみこそが、本当の生きる力となる。 菅原文子
法話
人間はいつも真理に逆らって生きています。ありのままをありのままに見ることができません。たとえばこの世は無常ですが、私たちは、年は取りたくない・死にたくない・いつまでも若く元気でいたいと思っています。無常ということを正しく見ることはできません。それ故に苦しむのです。私たちから真理に近づくことはできません。そうではなく真理(真如)の方から来て、如来となり、如来が念仏となりいつも「真理に目覚めよ」「我にまかせ、必ず救う」とよびかけているのです。私たちはそのよび声にまかすしかないのです。いつも自我中心に生き、煩悩に振り回されて生きている私たちには、念仏に気づかされ、念佛とともに生きるしかないのです。次の言葉は被害日本大震災の津波で、夫と義父母を亡くされた菅原さんの言葉です。「悲しみは生きていく上の力になるということは実体験です。うれしいことや楽しいことだけが、生きる励みになるのではなく、悲しいことこそが、本当の生きる力になると感じています」と話されていました。菅原さんは悲しみを受け止め、悲しみを支えとして力強く生きていられます。