救いとは、私が私であってよかったと喜べることです。その人がその人のまま命が満足することです。
救いとは、良い果(自我の満足)を得ることではなく、どっちの転んでも大丈夫といえる確かな因を得ることです。
法話
どの宗教ででも救いを説きますが、はたして救い、救われるとはどういうことでしょうか? 一般には願いが叶ったことを救われたといいます。確かに願いが叶えばうれしいですが、叶う保証はないし、叶ったとしてもその後どうなるかわかりません。仏教では願いが叶う、自我の満足を救いとは言いません。良い果を得ることではなく、どっちに転んでも大丈夫といえる確かな因を得ることを言います。因とは生きる土台・支え・要・拠り所です。確かな因を得ることにより、どんな状況になっても、私が私であってよかったと喜べるのです。現実は変わらなくても、その人がその人のまま命が輝くのです。救いとは、自我が満足することではなく、いのちが満足することです。