MYOKYOJI

2015年11月アーカイブ

10月の言葉と法話

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念仏とは称えるものではなく、聞くものです。仏の声を聞くのです。

 法話

念仏は称えることが目的ではありません。称えることにより仏さまの声を聞くのです.「必ず救う、マカセヨ」「決して見捨てない」「そのままでいい」「必ずお浄土へ連れて帰る」といつもよび続けている仏さまの声を聞くのです。聞こえない人は自分で称えてください。どんな耳の遠い人でも聞こえます。苦悩の有情を必ず救うという仏の願いが、み名となり、声となり、私たちの口から出るように仕上げてくださっているのです。自分が称えているつもりが、実際は仏さまが私の口から出てくださっているのです。「み仏のみ名をよぶわが声は、わが声ながら尊とかりけり」です。阿弥陀如来が南無阿弥陀仏になられているのです。そうでなければ煩悩いっぱいの私たちは救われないのです。念仏とは称えるのではなく、仏のみ名を、仏の声を聞くのです。称えることが目的なれば必ず「我」が入り、仏の声が、仏のみ名が聞こえなくなるのです。私が称えるのではありません。仏さまが私の口から出てくださっているのです。その声を聞いていきましょう。

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