MYOKYOJI

2015年12月アーカイブ

12月の言葉と法話

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目に見えぬお慈悲が南無阿弥陀仏と口に出る

法話

 仏さまのお慈悲は目に見えません。しかし間違いなく働いています。たとえば気づくということは、必ず気づかせる働きがあるから気づくのです。自分で気づいたのではありません。お慈悲に気づかれた方は「お慈悲は温いです」と喜ばれています。お慈悲がもっとも具体的に働いているのは、阿弥陀如来自身が南無阿弥陀仏となり、私たちの口から出てくださっていることです。念仏とは私が申す念仏だけど、実際は阿弥陀如来のよび声です。「必ずお前を救う、まかせよ」と私たちの口から出てくださっているのです。念仏を称えるとは、阿弥陀さまの声を、み名を聞くのです。念仏を称えるということは、阿弥陀さまの声を聞くことです。聞くことが要です。「我称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏 連れて往くぞの 親のよび声」(原口針水)

11月の言葉と法話

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人間の眼は光が無ければ何も見えません。心の眼も照らす光が無ければ開かないのです。

法話

人間の眼は借光眼で、太陽や電気の光があるから見えるのです。もし光が無ければ何も見えないのです。「深海魚、光に遠くすむものは、ついに目を失うとあり」と言われるように、太陽の光が届かない深海魚は目が機能しないのです。何も見えないのです。同じように心の眼も照らす光により開くのです。仏さまは光となり、いつも私たちの心のを開かそうと働いてくださっています。「大事なものは目ではは見えない心で見なければいけない」と言われるように、心の眼が開かねば大事なものを見失うのです。気付かないのです。心の眼を開いていきましょう。

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