MYOKYOJI

2016年10月アーカイブ

10月の言葉と法話

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念仏を称えることは、人間の仕事ではなく、仏さまの仕事です。

 法話

念仏は、私が仏をよぶ声ではなく、仏さまが私をよぶ声です。阿弥陀さまが私たちを救うには念仏になるしかないと気づかれ、私たちをよび続けていられるのです。念仏を称えるとは、私の口から称えているのですが、実際は仏さまのはたらきが称えさせているのです。「私が申す念仏やけど私でないがや、阿弥陀さまのおよび声や」です。たとえばいい湯加減の風呂に入った時、「あー気持ちいい」というでしょう。私の口から言っているのですが、お湯の働きがいわせているのです。念仏を称えることは仏さまの仕事です。それを人間の仕事と思っているから救われないのです。仏さまに遇えないのです。私が称えるのではなく、仏さまが称えさせているのです。私が入れば念仏ではないのです。念仏も無我です。私が入れば自分の都合で称えます。救いの手段になります。自分がこれだけ称えたから救いや功徳があると思っているのです。仏さまを見ず、自分しか見てないのです。いくら一生懸命、集中して称えても救われません。念仏は仏さまの仕事だから、どんな思いで、どんな心で称えるということは、まったく用事なしです。数多く称えるとか心を集中して称えるとかは全く思わなくていいのです。私が称える仏さまの声を聞いていきましょう。念仏とは聞くものです。

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