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今月の言葉と法話: 2007年3月アーカイブ

2007年3月の言葉と法話

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「優越感の正体は劣等感である」「比べなければ楽になる」


法話
 ある奥さんが、「私が浄土真宗の教えで出遇っていちばん良かったことは、比べなくてもいい世界が見つかったことです」と話されていました。
 人間は比べるから苦しむのです。比べなければ楽になります。私たちの幸、不幸も人と 比べて判断しています。比べて上だと思い上がるし、下だと恥ずかしいし、悔しいです。
 優越感の正体は劣等感です。劣等感があるからこそ、上になった時、優越感がおこるのです。 それぞれ比べることによっておこる心の働きです。また比べて悲しめば自己を見失うし、 比べて喜べば他を傷つけます。
 仏さまの教えに遇うということは、比べなくてもいい世界があったと気づくことです。 仏さまの教えに遇うと、楽になります。生きる喜び、生きる自信が生まれてきます。
阿弥陀さまは 「老少善悪の人をえらばれず」とあるように、誰をも分けへだてをされません。えらぶことを されません。すべての人をそのまま認めてくださっています。お慈悲の眼をもって、誰をも かけがえのない一人子のようにご覧下さっています。
 しかし私たちはすぐに人と人とを比べて、好き嫌い、損得、役にたつ、たたないというモノサシで 人を分けへだてし、えらんでいます。現代人はますますそういう見方が強くなっています。
 相田みつをさんの詩に「この自我この我執俺と一生つき合う相手」とあるように、私たちは 命終えるまで自我中心で、自我の色メガネをかけて、自分の都合で、自分のモノサシで、人々を 比べて、分けへだてし、えらんでいます。
 仏さまの教えを聞き、仏さまに遇うということは、どこまでも自我中心の私の姿が知らされると 同時に、比べなくてもいい世界、モノサシのない世界を知り、その世界に触れることができるのです。
 浄土真宗では、この比べなくてもいい世界、モノサシのない世界をお浄土と申しています。
 この阿弥陀さまの世界であるお浄土は、比較、優劣、損得、上下、善悪、生死を越えている世界です。 阿弥陀さまは、いつも私たちにこのお浄土に生まれて欲しいとよびかけ、私たちにお浄土への道を 示してくださっています。
 念仏者が生きるということは、真実の世界、平等の世界であるお浄土への道を歩ませていただく のです。それは自我中心に生き、自我のメガネを通して、他を分けへだてし、えらび、他を傷つけずに おれない自分の存在を悲しみ、そんな凡夫の私をどこまでも見捨てず救わずにおれないという 阿弥陀さまのお慈悲を喜び、「お恥ずかしい」「おかげさま」という歩みであります。

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