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今月の言葉と法話: 2007年4月アーカイブ

2007年4月の言葉と法話

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・「わかっちゃいるけど、やめられない」
・「うそをいわない、ひとのかげ口をいわない、人にこびない、みんな私にできぬことばかり」
 (相田みつを)


法話
 先日、植木等さんが亡くなられましたが、植木さんのヒット曲の歌詞で 「わかっちゃいるけど、やめられない」というフレーズがあります。ご承知の ことと思いますが、植木さんは浄土真宗のお寺の息子で、住職であるお父さんに、 この言葉を見せたところ「この言葉は親鸞聖人の心と一緒だ」と言われたそうです。  この「わかっちゃいるけど、やめられない」という言葉は、人間そのものの 本質をいっている言葉です。この言葉は、例えば煙草は身体に良くないから止め ようと思っているが、なかなかやめられないとか、甘いものはすぐ太るからやめ ようと思っているが、なかなかやめられないということではないのです。それは ただ意志が弱いだけです。実際止めようと思ってやめている人もいるのですから。
 この意味は、うそや人のかげ口、悪口をいってはいけない、やめようと思って いても、知らぬまによく話しているとか、飾ったことはやめようと思っていても、 いつのまにか自分を飾りいいカッコーをしようとしている。また人を比べては いけないと思っていても、すぐ比べて人を見ている。
おかげさまと喜べなければ いけないのに、すぐに "あたりまえ" になっている私自身の姿であります。 本当に恥ずかしいことです。「さるべき業縁の催さば如何なる振舞いもすべし」 です。まさにこの言葉は私たち凡夫そのものを言い表わしています。
 どうせ私は凡夫だから仕方ないというのは居なおりです。真実に遇えば、光に 照らされれば、ごまかしのない私の本当の姿が明らかになります。
 良いことをしようと思えばすぐできる。悪いことをやめようと思えばすぐやめ られる、これを思いあがりといいます。やればやるほどできない私の姿が見えて きます。
 また正直になろうとすればするほど正直になれないものです。
 榎本栄一さんに「私は時にケモノの心おこることあり、そのときも人間の顔して くらしている」。「世の中を頭下げて通りたいと願いながら私の心はまたしても 鎌首をもたげる」という詩があります。
 私たちは縁にふれて、すぐに凡夫の地金がでてきます。それはあたりまえではなく、 恥ずかしいのです。そういう私たちが自分で煩悩を断ち切ることは不可能です。
 この煩悩いっぱいの私たちをめあてに、必ず救うと阿弥陀如来は、南無阿弥陀仏と なって働きつづけてくださっているのです。
 私たちはハカライを捨てて、阿弥陀さまにまかすしかないのです。ただ念仏です。

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