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今月の言葉と法話: 2007年7月アーカイブ

2007年7月の言葉と法話

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・嫌いな人がいるのではない 嫌いな人だと思う私がいるだけだ
・人間は自分に都合のいい人を良い人だと思い 自分に都合の悪い人を悪い人だと思う


法話
 現代人は、ますます自分中心で、相手を思いやる心がないとよく言われます。
私自身どうであろうか、歳をとるにつれ我が強くなり、相手のことを思いやる心を失っているように思う。  「この自我・我執オレと一生つき合う相手」とあるように、私たちはどこまでも自我の色メガネをかけて、自分の都合であらゆるものを見ているのです。
 私たちはよく、「あの人は嫌いだ、顔も見たくない」と言うけど、実際は嫌いな人がいるのではなく、嫌いだと思っている私がいるだけなのです。私が嫌いな人でも他の人から見ると、そうでもないと思っていることもよくあります。
 また最初はあの人は良い人だと思っていても、ちょっとした縁で、あんな人と思わなかった"悪い人"やと思う場合もあります。
 私たちは天気ひとつでも、自分の都合で良い天気、悪い天気と言って判断しています。天気に良い天気、悪い天気はありません。雨が降った時のほうが良い天 気の場合もあります。みな私たちの勝手な都合で我執という垢に汚れた分別心で判断しているのです。仏法をよく聞いている人でも、無意識にすぐにそういうよ しあしの分別をしています。しかし仏に遇っている人は、自分の分別で、都合のいい、損得のところでしかものをとらえていない自分の身勝手さが見えてくるの です。
 ある保育園で、小さな女の子が、雨の降りつづく暗い空に向かって「今日は良い天気ありがとう」と叫んだそうです。その言葉を聞いた保母さんが「どうして 良い天気なの、今日は悪い天気でしょう」というと、「いいえ今日は良い天気、だって草も花も雨が降らなくて困っていた人も喜んでいるよ」と言ったそうで す。その保母さんは、その言葉を聞き、「ドキッ」としたそうです。
 「自分の都合で、損得だけを考えて、文句ばかり言っている私と違って、その子は、雨が降らずに困っている人や、花や草のことで心はいっぱいだったのです」
 「他者の立場にたって、ものごとを見つめる心に触れる時、人間の原点に立ち帰らされます」と話されていました。

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