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今月の言葉と法話: 2007年8月アーカイブ

2007年8月の言葉と法話

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・相手をたしなめようとする心が家庭にひびを入れ、私が我慢しているという思いが家庭を暗くする。


法話
 以前、仏前結婚式の司婚をしました時、こんな法話をさせていただきました。
本日はご結婚おめでとうございます。
このたび不思議なご縁によって、お二人が結ばれましたが、まずこのご縁を大切にして、生かして欲しいと思います。不思議とは不可思議ということで、思議で きないということです。人間の知恵や分別をこえて、目に見えない大きないのちの働きの中で、お二人が結ばれたということです。
 私たちは知恵に頼ってしまうと、大切なものを見失っていきます。人間の知恵はどこまでも月を指す指にすぎません。指にとらわれていると真実を見失い、ま すます無明の闇を深めていきます。人間の知恵ではなく、仏さまの知慧、仏智に照らされた生活をしていただきたいと願っています。
 結婚とは、「縁があって結ばれた二人が生活の労苦を通して夢からさめ、お互いが凡夫であることに気づいていく営みです」知恵にたより、仏さまを忘れると 自我中心になり、凡夫であることを忘れ、しらずしらず相手を責め裁き、たしなめようとしています。家庭円満の秘訣は、相手をたしなめようとしないことで す。裁かないことです。また私が我慢しているという思いが家庭を暗くします。言葉には出さなくても態度や表情に出てきます。我慢とは我慢できる間は良いの ですが我慢できなくなると爆発します。我慢とはカドがとれるのではなく、自分の我を一時的に押さえているだけであって、ますますカドを増やしているので す。
 ある時、私の我慢が爆発して、妻に「俺はこんなに我慢しているぞ」と言うと、妻は「私だってこんなに我慢しているよ」と三倍になって返ってきました。お 互いに我慢しながら争っているのです。私たちはすぐに「私が我慢しているから家庭がまるく治まっていると思いあがっています。しかし実際はそれぞれ互いに 迷感をかけ、支えられ、我慢されて生かされているのです。でもしぶとい私たちは、理屈ではわかったつもりでもなかなか気づきません。それ故、仏さまの智慧 に照らされた、仏さまを中心とした生活をして欲しいと願っています。一緒に生活していくとお互いの欠点がよく見えてきます。その時私も欠点をもっている凡 夫であることに気づけば、相手の欠点を受け入れていける心が育てられていきます。
 結婚はゴールではなく、新しい人生のスタートです。人生の荒波を二人で協力し、支えあって乗り越えて下さい。夫婦は、伴侶とも連れ合いとも言うように、 共に人生を歩んでいくパートナーです。どうか夫婦同じ方向に向かって歩んで欲しいのです。現代は別々の方向を歩んでいる夫婦が多いように見うけられます。 そこには気持ちが通じ合いません。
 夫婦が向き合うことも大切ですが、向き合っていると、いつか必ず衝突します。裁き合います。争います。そうではなく同じ方向に向かって人生を歩んで欲し いのです。ではどの方向に向かって歩むのかというと、決してごまかしのない道、仏智に照らされた真実の道であるお浄土への道を共に歩んで欲しいと思ってい ます。
 「み仏のお慈悲に抱かれ結ばれし二人共に歩まんお浄土への道」です。どうか仏さまを中心として、お互いが敬い合い、支えあって生きる家庭を築いていかれることを願っています。
 本日は本当におめでとうございます。

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