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過去の旅行記録一覧
2007年8月21日〜8月30日
大草原モンゴルと銀河シベリア鉄道 碧きバイカル湖の旅
2007年8月21日〜8月30日 10日間
今年の旅行は、まずモンゴルの大自然を満喫し、ウランバートルからシベリア鉄道に乗り、二日間かけてロシアのイルクーツクに着き、近くのバイカル湖を訪ね、周辺にあるシベリア抑留で亡くなられた日本人墓地の参拝を目的に計画しました。
今年は案内状が遅くなり、また仕事や病気でいつも参加されている方が止められ少人数での出発でした。一応スケジュールは組んでいたのですが、あっても無いのと等しい状態で、まさに珍道中でした。しかしそれはそれなりに思い出深い楽しい旅となりました。
期待していたシベリア鉄道は、ウランバートルからイルクーツク間の鉄道はあまり設備も整っていず、駅での待ち時間が長く、何回も検問があり不便なことも多かったが、車窓を見ながら、のんびり、ゆっくり時間を気にせず、鉄道の旅を楽しみました。イルクーツクは文豪チェーホフが「素晴らしい町、知的な町」と書いていたように、美しいアンガラ川を中心に、おちついた、とてもいい雰囲気の町でした。時間があれば、もっとゆっくり散策したかった。
学生時代、ロシア民謡の「バイカル湖のほとり」をよく歌っていたので思い切りケーナで吹いてみたかった。琵琶湖の50倍の大きさで透明度世界一といわれる、まさに海のように広大で美しいバイカル湖のほとりで願いを叶えました。またバイカル湖のほとりの丘の上に、ひっそりと日本墓地がありました。皆で勤行し、花岡さんから法話をいただきました。戦争の悲惨さを感じ、もう二度と戦争をしてはいけないことを痛感いたしました。
バイカル湖でのクルージング、バイカル湖で取れた魚の燻製の味、明日のホテルの予約をしに、満月に照らされ、夜中にバイカル湖のほとりを歩き回ったこと、忘れられない思い出となりました。
合掌

異国の丘にあった日本人墓地
第二次世界大戦後、ソ連軍により約60万人の日本人がシベリアに強制連行され抑留された。極寒と劣悪な条件の下で強制労働を従事させられ約6万人の日本人が亡くなられた。私たちは今回、イルクーツク、バイカル湖を訪ねるので、是非に日本人墓地をお参りしたかった。墓地はバイカル湖の近くの丘の上にあった。すぐに小学校のころよく歌っていた「異国の丘」という歌が頭に浮かんだ。
「今日も暮れ行く異国の丘に 友よ辛かろ切なかろ 我慢だ待ってろ嵐がすぎりゃ 帰る日も来る春も来る」
この歌はシベリヤ抑留者の間でよく歌われていて、帰還した兵士がNHKののど自慢に出場して歌ったことから評判になり、1948年に日本ビクターからレコードが発売された。
寒いときには零下50度になり寒さと飢えに耐え、どんなにか早く日本に帰りたかったことでしょう。もう戦後62年経ち、抑留され帰還された方もすくなくなりました。風化させてはならない。戦争の悲惨さを若い世代へ語り継いでいかなければならない。
合掌

大いなるいのちの世界からのよび声
モンゴルは2度目である。14年前、家族や有縁の方々と来て大草原や満点の星、2重に出る虹に感動した。もういちどその感動を味わいたかった。前回ウランバートル空港に降りたとき、一面の大草原の美しさに感動した。またウランバートルの街が一望できるザイサンの丘に登ったときもそう感じた。しかし今回は感動はなかった。多くの建物が建ち、景観が変わっていた。ウランバートルの市街はホテルやマンション、住宅が多く建っていた。だが車で少し走り街を離れると、手つかずの自然がそのまま残っている。やはり美しい、自然は本当に偉大であると思う。町の発展も大事であるが、いちど壊した自然はもう元に戻らない。よくよく考えて建ててもらいたい。私にはモンゴルの大自然が、「自然を守れよ」「いのちの事実に目覚めよ」「ハカライを捨て、我にまかせよ」と、呼びかけているように感じた。
帰るとすぐに寺の掲示板に、「何事も本当の世界には呼びかけというものがある。この呼びかけが名号です」「念仏とは人間の忘れているものを呼び覚ます いのちのよび声です」「名号とは生きて働く仏さまです」と書いた。念仏とは、大いなるいのちの世界からのよび声です。森羅万象、山川大地、一木一草が、事実を見失っている私たちに、「真実に目覚めよ」とよびかけているのです。私たちが不実と気づくのは真実が働いているからです。浄土真宗では、個の大いなるいのちを阿弥陀如来といいます。阿弥陀如来はいつも、「ハカライを捨て、我にまかせよ、我を生きる拠りどころとせよ」と、よび続けてくださっています。
自我、我執、ハカライを失くすことが出来ず、いつも真実を見失っている私たちだからこそ、お念仏を申して生きなければならないのです。
称名
