
信 心
- 信心とは
- 信心の生活
- 信心の利益
- 信心といえる二字をば “まことの心” とよめるなり (御文章)
- 信心とは 仏のまことの心が 私に至り届いたこと
- われわれ凡夫には まことの心は ないのです (普賢大円)
- 信心は 如来のお誓いを聞いて 疑う心のなきなり (一念多念文意)
- 私が疑っても疑っても 疑いきれない 真実なるものとの 出遇い それが信心です
- 疑いはれたが 信心じゃ (才市)
- 如来さまのまことの心が 私の疑いを 破ってくださったのです
- 安心できるもの 決して裏切ることのないものに 遇うことによって 信は生まれる
- 「これほどまでに 如来さまは私のことを 思いつづけてくださっていたのか」 と気づくこと
- 信心というは ただ仏の願心のありがたさに 胸うたれるということの ほかにない (金子大栄)
- 阿弥陀さまの “必ず救う” の仰せにまかせたことを 信心という
- 「まかせよ」 「はい」 ただこれだけ (鈴木章子)
- 如来と私との 垣根がとれること それが信心
- 信心とは 如来さまと私が 出遇ったということです
- 信心とは 如来さまより たまわるものです
- 信心とは つかむものではありません いただくものです
- 浄土真宗では “信じています” という自分の心を 信心とはいいません (藤田徹文)
- 信心とは 自分で信じるのではなく 阿弥陀さまから 信じさせていただくもの
- 信じる心まで 阿弥陀さまから めぐまれた
- 信じられないと嘆かずとも 信じさせていただけるのが 阿弥陀さま
- 信は心を開き 疑は心を閉じる
- 信心とは 私の願いを祈る心ではありません 如来さまの願いを 素直に受けとる心です
- どうかなろうと心をあせり どうかなったは自力なり どうかなろうと心配するな ならぬまんまで救われる
- 名号をもって助けるのが 仏の仕事 信心をもって助かるのが 私たちの仕事
- 信心とは身も心も 安らかにしてくださる 大いなるいのちのはたらきに おまかせすること
- 信心は 終着点ではなく 浄土への道を歩む 出発点です
- 信心の生活とは 喜びと慚愧の生活です
- 慚愧なきは 名づけて人とせず 名づけて畜生とす (涅槃経)
- 信心そのものが 正しい社会性を よびさますはたらきを もっている (梯實圓)
- 信心の生活とは 仏法を主とし 世間を客人と することです
- 信心があれば 差別がなくなるのではない 信心があれば 私の差別心に 気づかされるのです
- 信心と生活を分けると 信心が心の中だけの 問題となり 抽象化してしまう
- 如来の大悲につつまれて 人間相互の 信頼を確立した 御同朋御同行の 生活です
- 朋に生きることがなければ いつの間にか 人を傷つけ差別し 踏みつける側に 立ってしまうことになる
- 仏法を聞いた人は 卑下することもいらん また高慢になることもいらん
- 家庭の平和は お互いの立場を 尊重するところから 生まれる
- 家庭生活そのものが 信心にめざめていく 道場である
- 信仰のない 人間の生活は 動物の生活である (トルストイ)
- 安かりし 今日のひと日を よろこびて み仏のまえに ぬかづきまつる
- “おかげさま” といえる 人生に 孤独はない
- 信心すでにえんひとは つねに仏恩 報ずべし (浄土和讃)
- 信心の生活は 摂取不捨の光明に 照らされた日暮しです
- 信心よろこぶその人を 如来とひとしと ときたまふ (浄土和讃)
- 信心さだまるとき 往生さだまるなり (末灯鈔)
- どういう境遇におかれても 生きぬく力 それが信心 (米沢英雄)
- 災難がこないように祈るのが 信心ではない どんなことがきても 引き受けていける 力を得るのが 信心である
- 信心とは 生きる本当の自信を 得ることです
- 私が信じた信心は すぐ砕れるが 如来さまよりいただいた信心は 決して砕れない
- 信心という重心が すわっていれば 転ばない
- 真実の信をうるものは 心によろこび多し
- 信心とは 他でもないこの私が 救われてゆくということです
- 信心とは この人生 この道を歩めばいいんだ との安心感です
- 信心の行者とは 人間としての尊厳に 目覚めた人である
- 自分が可愛い ただそれだけで生きてきた それが深い悲しみとなった時 ちがった世界が 広がってきた(浅田正作)
- またひとつしくじった しくじるたびに目があいて 世の中少し広くなる (榎本栄一)
- 信仰は 人生の力である (トルストイ)