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お寺の歴史

安土桃山時代

秀吉の書状 天正四年(一五七六)九月十八日、石山合戦に於いて織田信長に明教寺の堂舎が焼かれました。七堂伽藍を有し、南北九十九間、東西五十七間の境内と寺領二五〇石が一瞬にして消えてしまいました。十二代住職慶順の時、豊臣秀吉から信長に没収された境内地を三分の一ほど返してもらい再建します。その時に、丹南郡代官山中山城守をはじめ、豊臣家の五奉行であった長束正秀、益田長盛、石田三成、前田玄以が連盟で明教寺に二十五両を寄進しました。

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