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旅の情報

天山南路の仏教遺跡と新疆の旅クチャ・アルタイ・大連を訪ねて

2004年8月22日〜8月31日 10日間

img 神秘の湖ハナスへ
 今年の旅は、まだ日本人にあまり知られていないが、アルタイ山脈の麓にあり、神秘の湖と名づけられているハナス湖と、シルクロードの中で千仏洞が多く残っているクチャを、ウルムチを拠点として訪ねることにしました。アルタイ空港から、ほぼまっすぐな道をバスで6時間走りハナスへ。ハナス湖は期待どおり素晴らしい景観を見せてくれました。湖から流れている川の色も、青、緑、濃淡色、乳白色とさまざまな色を見せてくれた。
img  中国でもごく数年のうちに知れ渡り、8月には一日の観光客が3000人もあるそうだ。さすがに日本人は私たち以外にいなかったが、ここ数年のうちに多くの日本人が訪ねることだろう。 クチャは、私たちが毎日勤行している阿弥陀経の翻訳で知られる鳩摩羅什三蔵法師の故郷。キジル千仏洞の前に銅像が建てられていた。私たちはキジルとクズルガハ千仏洞を見学したが、残念なことに盗掘やイスラムの侵攻により破壊され、あまり現存していなかった。クムトラ千仏洞も見学する予定であったが、皆さんのお疲れと、入場料が大変高く断念した。
 旅の中で食べた、アルタイでのハミ瓜とジャム、ウルムチのシシカバブー、クチャの果樹園のいちじくとぶどう、大連の海鮮料理。とても美味しかった。 来年はどこにしようか思案中です。まだまだ人々に知られて無い素晴らしいとろは、沢山あると思います。そこを探して色々と新しい発見をしたいと思っています。またご一緒にご同行をよろしくお願い致します。

合掌

クチャの夢

亀茲の古城・数々の千仏洞。 古の栄華の跡 一体どのような人々が住んでいて、どのような生活を成し、どのような仏教文化を花咲かせていたのか。  今となっては過ぎ去りし夢の跡。
ひと時の過ぎ去りし、夢の跡を我々旅人に見せている。

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鳩摩羅什三蔵法師って、どんな人?

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お恥ずかしい話ですが、まあ聞いてください。もう20年ほど前のことです。私のお預かりしています勝楽寺のご門徒さんが大阪で貿易会社を始めたのです。ご両親の帰宅は夜10時ごろになられるので、第二土曜日の夜七時ごろに月参りをいたしていましたが、そのときから三人の子どもさんだけといつも一緒にお勤めしてお話をして9時ごろに終わることになりました。
 その日は『仏説阿弥陀経』をお勤めいたしました。高校2年生の真ん中のお姉ちゃんが赤いお経さんの本を見ながら、「昨日、世界史の時間で三蔵法師鳩摩羅什とここに書いてあるこの人のことが出てきたのですが、どんな人ですか?」と質問されました。まぁ、お恥ずかしい話ですが、「どこにかいてある?」と問い返す始末です。『仏説阿弥陀経』の最初に鳩摩羅什三蔵法師という字が出ています。「この人のことについてはしっかり勉強してないので来月調べてきてお話します」と言って逃げるように帰ったのをしっかりと覚えています。
 今回の中国・新疆ウイグル自治区で天山山脈を飛行機で越えタクマラカン砂漠を中国から横断する出発点である庫車(クチャ)に行きました。京孜尓(キジル)石窟にバスが着くと最初に目に入ったのが鳩摩羅什の青年の像であった。そしてその奥に京孜尓(キジル)石窟があり千仏洞である。3世紀末から9世紀まで続く。鳩摩羅什は、父はインド人で母は亀茲(きじ)に生まれ青少年時代を送る。シルクロードの文化交流(経済・技術・人的交流を含む)は天山山脈もタクラマカン砂漠も乗り越えて進み、これだけの千仏洞をつくる文化・環境がここ西域にあったからこそ鳩摩羅什三蔵法師が輩出したと思う。これは「お念仏薫る家庭で子どもは育てよう」ということの大切さを教えられました。時の都長安(今の西安)に出て、402年に『仏説阿弥陀経』を訳してくれている。お釈迦様一代の説法の結びのお経さまと言われている。親鸞さまはこの『小経』の本意は他力念仏の法を説かれたとみられました。

合掌

中国悠々紀行

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 今回の天山南路仏教遺跡新疆の旅に初めて参加させていただきありがとうございました。以前から敦煌もしくはそれ以西の中国の仏教遺跡を訪ねたく思っていましたが、図らずも今回その機会を与えられ、しかも、素晴らしい皆様方とご一緒させていただきましたこと筆紙に尽くしがたいものがあります。
 北京からウルムチへの機中、雲間からかいま見る荒野と雪を頂く荒々しい山々、ありし日の三蔵法師の厳しい旅を重ね合わせてしばらく我を忘れてしまいました。
 クチャでの千仏洞、スバシ古城、当時のことは想像を絶するものがありますが、荒野にあのような壮大なものを作り上げた大きな力はどのようにして湧いてきたものでしょう。スバシの東西の古城の間の裸の天山山脈の奥から流れ出てくる河を含めた一望の景色は印象的でした。足元には野生のスイカ、これも興味がありました。
 千仏洞の壁画、東西文明の交流を目のあたりにしました。それと同時に壁画の人物の目が殆ど破壊されていること、説明では9世紀にイスラム教徒による仏教徒制圧の結果ということですが、砂漠で興った宗教と農耕文明の中から興った宗教の違いが思い知らされ、また、アフガニスタンの大仏の破壊を考えあわせ複雑な気持ちを抱かざるを得ませんでした。
 クチャでのバス旅行で見た、天山山脈の異様な壮大な姿は圧巻でした。昔読んだ西遊記は全くの空想の物語と思っていましたが、認識を新たにしました。
 ジュンガル盆地を飛行機で飛び、アルタイ山脈に入ると、カナダに来たような景色が展開していました。はるか向こうに雪をいただいた山々を眺め、眼下に青白色のハナス湖を見たときは何とも言えぬ気分に浸りました。後ろを振り返ると牧草の中にテント小屋が見えるのも遊牧の地ならではの景色です。
 ハナス湖畔の民家での一時も思い出深いものでした。爺さんの吹く独特な音色。先生の歌、子どもの歌。それに何より家の造り。学生時代、満州帰りの人から聞いていたものと同じでした。
 大連では、旅順の要塞と日本軍の犠牲を見たとき感慨無量でした。また、旅順港を眺めたとき「杉野はいづこ」という広瀬中佐の言葉を太平洋戦争のとき繰り返しよく教えられましたが、目のあたりにして複雑な気持ちでした。そのような景色を後にして、整備された実にきれいな大連の町並みに接したとき、歴史の流れに思いをいたさざるを得なくなりました。
 毎回の夜の反省会は通常の旅行では味あわれないすごいものでした。失礼なことを申したと思いますが、ご勘弁を願います。今回の旅行は本当によい思い出をつくらせていただきありがとうございました。
 アルタイでハナスを見て、所々のバザールで、多くのゴザールに会い、迷いに迷うて、ついにはマザールに至る。こんな人生を送ってみたい。

合掌

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自然画家

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ウルムチ空港から北京空港へ向かう途中、砂漠の中にすばらしい光景を見つけました。
自然が作り出した名画を発見したのです。奇形模様が何千年もかけて描いた壮大な名画を作り出していました。 白色、青色、黒色、赤茶色の絵の具を使った油絵を見ている様でした。
私が見た眼下の絵は、名画家と見比べるべきではないほどの完成された自然の美しさと偉大さを感じました。
今回は、前回と違った感動をさせて頂きありがとうございました。

天と地の広さより

新疆ウイグル族自治区は中国の北西に位置して、つとに、西域と呼ばれています。2000年前の前漢時代の張弿がはじめてシルクロードを開かれてから、東部の文明と西部の文明の頻繁の交流の絆として重要な役割を果たしました。新疆は中国の省市自治区の中で面積は一番大きい、総面積は160平方キロメートル、人口は1730万あまりで、55個少数民族の中には47個少数民族が生活しているところ、中国の「少数民族の窓口」とも言います。
 青々として限なし雪松雲杉、澄み透った氷川、広々してゴビ砂漠、広くて無限な草原、各品種の珍しい動物と稀有な植物によって、様々な自然保護区と自然奇観を持っています。シルクロードの古い道の中には今まで残されているお城、お寺、古い石窟、古い駅、古い屯田遺跡、お墓及びミイラなど文物、47個少数民族の8種宗教の民族風情、各種類の民族風格の建築、服装、歌舞、美食、習慣などすべて組んで特有な新疆旅行のもっとも憧れる風景になります。今回の旅はカザフスタンの国境と連がる人類の浄土と呼ばれている神秘的なハナス湖も訪れました。
 今回の旅行中、一番印象深いのは新疆の天と地は広々だけど、天と地よりもっと広々としているのは人間の心だと思います。8月29日、私の14年の添乗生涯中、一生に忘れられない事があった。緊急の場合にアルタイからウルムチへ戻る航空券をもう一度買わなければならない時、私の手元に人民元が足りない。その時、皆様は迷わずにできるだけ、自分のポケットの中に人民元を全部貸して貰いました。私は感謝の言葉が言えないほど、ただ感謝感激しました。人間の心の広さをしみじみと感じております。中国語の言葉によって、「いい人は一生に平安を祝う」私の気持ちを表しました。
 皆様のご家族の幸せ、ご健康を心からお祈りいたします。
ありがとうございました!

中国添乗員   金燕
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