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旅の情報

スペイン紀行バルセロナ・セビリア・グラナダ・マドリッドを訪ねて

2008年8月26日〜9月3日 8日間

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img  今年の仏跡旅行はチベットを予定していましたが、政情不安定のため断念し、急遽キリスト教の国であるスペインへ行くことにしました。
 今回は日本旅行のアンダルシアの誘惑「スペイン8日」というツァーに参加しました。スペインの中でもアルハンブラ宮殿のあるグラナダ、地中海を見下ろし遠くアフリカが見え、白い家が立ち並ぶミハス、カルメンの舞台であるセビリアのあるアンダルシア地方へ、以前から機会があれば行ってみたいと思っていたのでこのツァーに参加しました。参加者は、初老の素敵な紳士夫婦、北海道から参加の新婚さん、石川県の若い看護師三人組、中年のご婦人の二人連れと私たち中年のオッサン二人の総勢11名の参加でした。

img  まずバルセロナへ行き、サクラダファミリア教会を代表とするガウディの建築を見て、ピカソ美術館へ行き若い時の作品を見ました。人物画が多かったが素晴らしかった。ピカソが歳を重ね、どのような精神遍歴があったのか調べてみたくなった。
 次に行ったアンダルシア地方はとても暑かった。セビリアは40度もあった。アルハンブラ宮殿はギターの名曲の旋律の如く、もの悲しい雰囲気が漂っていたがイスラム建築の素晴らしい宮殿であった。マドリッドでは近くの奈良の姉妹都市である古都トレドがとても印象に残った。バスでトレドの近くに行った時、その景観を見て感動した。世界一の美術館といわれるプラド美術館、ゴヤ・エルグレコ・ベラスケスの作品が多く展示されていた。ただ時間がなくゆっくりと見れなかったことが残念であった。
 スペインは情熱の国といわれるが、その代表がフラメンコ・闘牛であろう。フラメンコの手拍子・かすれた歌声・ギターの音色とが情熱的な踊りを演出していた。ヨーロッパでもスペインがリピーターの多い国と言われています。私もまた機会があれば、今度はツァーでなく個人旅行でゆっくりと回ってみたいと思っています。とても見聞を広め、意義ある旅でした。

合掌
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スペインの闘牛を観戦して

img スペイン旅行へ行った時、闘牛観戦が日程に組み込まれていた。行く途中、バスの中で日本人の現地ガイドが熱く熱く、闘牛について語っていた。「闘牛はスペインの文化です。スペインが長い間培ってきた文化です。スポーツではありません。闘牛に関するニュースはスポーツ欄に載らず文化欄に載ります。生と死を考える神聖な場所です。牛と闘牛士の命がけの対決です。闘牛士も命を賭けています。命をかけなければ牛に対して失礼です。どちらが強いをかを決めるのではない、人間と牛のいのちがけの対決です。命がけで戦って、その中で大いに人々に感動を与えるのが闘牛なんです。牛も頑張らなければ、すぐに「牛かえろ」という声が上がります。牛が頑張れば、死んでいく牛に拍手が送られます。闘牛士も頑張らなければすぐにブーイングです。15分内に殺さなければ高額な罰金が科せられます。人気闘牛士は8億の年収をもらっています。素晴らしい命と命の対決です。ぜひ興味を持ってごらんください。」
 この熱い話を聞いて、最初はあまり関心はなかったが是非しっかりと見てみたいと興味がわいてきました。しかし見終わった感想は、頭が重くなり、もう二度と見たくないと思った。牛と人間の命がけの対決だと思っていたがそうではなかった。牛を徹底的に弱らせて、最後に闘牛士がとどめをさすのです。最初元気な牛が闘牛士を追いかけます。その時きれいに身をこなしてかわす姿に拍手が起こります。確かにカッコいいです。しかしかわすことができなければ隠れ場に逃げるのです。闘牛場には四か所隠れ場があります。そこ逃げたら牛は襲ってきません。牛は賢い動物で、そこに襲うと自分の角が折れることを知っているそうです。五分ぐらい経つとトランペットが鳴り目かくしされた馬に乗った騎士が長い槍をもって登場します。その騎士が馬上から長い槍で、牛の背中の急所を何度も突くのです。血が溢れてきます。もうここで牛の戦力は弱っています。そこから頑張って戦う牛がいい牛だそうです。観衆に感動を与えるのです。これをしなければ牛と人間は対等に対決できないのです。そこから牛を走らせ走らせて闘牛士が、飾りのついた派手な二つ一組の銛(もり)を何度も打っていくのです。この時一瞬でも油断すると大変です。角が内臓に刺さると即死する場合もあるそうです。
 そして最後に赤いマントをもった闘牛士の登場です。何度か走らせ赤いマントで身をかわします。かわし方が上手ければ大きな拍手が起こります。もう牛は相当弱っています。闘牛士が背を向けても襲ってきません。赤いマントだけには少し反応します。でもまだ牛は生きよう生きようとしています。闘牛士が牛の頭を下げさせ、機会をねらって剣で頭の下の急所に差し込みます。でも牛は一回ではなかなか倒れません。何度か突きやっと倒れます。最後に短い剣で顔の急所を突き絶命です。亡くなった牛はすぐに解体され、食肉として回されるそうです。
 ある人は食文化の違いと言っていました。「屠殺場で殺すか、みんなの前で殺すかの違いで殺して食べることに違いはない。その中で人々に感動を与えてくれるのです」。しかしこの意見はどこまでも人間の勝手な考えです。闘牛は人間が楽しむための見世物、ショーです。キリスト教では動物は人間の従属物であり人間が生きるために食べられろものと教えていると聞きましたが、仏教では人間も牛もいのちの重さに変わりはないと教えています。いのちへの畏敬、いのちに対しての厳粛さは決して忘れてはいけない。私も牛肉は大好きです。よく食べます。牛のかけがえのない命をいただいているのです。必ず「いただきます」と合掌して食べねばなりません。
 闘牛観戦は、確かに生と死を考える場であることには間違いはなかったです。

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