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心に響く言葉

念 仏

  • 名号(よび声)
  • 称 名
  • お念仏は 浄土真宗の人だけではなく 生きとし生けるものに よびかけられている
  • 名号(よび声)は生きて働く 仏さまです
  • 私が申す念仏やけど 私でないがや 如来さまの および声や (藤本はつ)
  • み仏を よぶ我が声は み仏の 我をよびさます み声なりけり (甲斐和理子)
  • 念仏とは 「我にまかせよ 必ず救う」という 阿弥陀さまの および声です
  • 念仏とは 私が仏をよぶ声 ではなくて 仏が私を よびたもう声 (正親含英)
  • だあれもいない 一人の時 お念仏さまが こうささやく 一人じゃないんだよ 一人じゃ (木村無相)
  • この無常の 世の中で ただ念仏のみぞ まことです
  • 永遠に変わらない 真実がただ一つ 南無阿弥陀仏となって 私によびかけている
  • 凡夫の私が 救われるのは ただ念仏しか ありません
  • 念仏をおいて 悪人のお前が 助かる道は どこにある (高史明)
  • 念仏とは 「真実にめざめよ」 といういのちの メッセージです
    自力の念仏は 人間の行です 他力の念仏は 阿弥陀さ まの行(働き)です
  • 念仏申さんかったら すぐに我が出るから 如来さまが 私の口を通して 注意して下さる (お同行の言葉)
  • 俺が私がと トゲが出る 南無阿弥陀仏の一声で トゲはゆっくり 沈みこむ
  • 念仏とは 自我崩壊の 音なり (金子大栄)
  • お念仏にであう以外 救われようのない 煩悩成就の私 (東井義雄)
  • どこにも助かるすべの ないもののために ただ一つ 開かれた道がお念仏
  • 南無阿弥陀仏の中に 生かされて 生きている (吉村かほる)
  • 一声一声の お念仏の中に 仏がおられ 私をよんで おってくださる
  • 念仏とは 人間の忘れているものを よびさます いのちのよび声
  • ありがたいこっちゃ もったいないこっちゃ はずかしいこっちゃ なんまんだぶつ (源左)
  • 道理リクツを 聞くじゃない 味にとられて 味をきくこと (才市)
  • 何事にも 本当の世界には よびかけと いうものがある このよびかけが 名号です (曽我量深)
  • 念仏は私に ただ今の身を納得して いただいてゆく力を 与えてくださる (鈴木章子)
  • 如来 言葉となって 我を 救いたもふ
  • 南無阿弥陀仏は 私の生命である 私の生涯を つらぬく道である
  • 真実(如来)は 不実(私)に向かって つねに真実に めざめよと よびかけている
  • お念仏は 阿弥陀さまから 私たちに贈られた 最高のプレゼントです
  • また一つ 年をいただき み仏のみ名を聞けよの いのちなりけり
  • 助けて下さい というのではない 「助かってくれよ」 というよび声に 従うばかりです
  • 念仏は 仏の手元にあっては よび声となり 衆生の心に顕われて 称名となる
  • 風邪をひけば せきが出る 才市はご法義の 風邪をひいた 念仏のせきが 出る出る (才市)
  • 念仏申すとは 私の人生どんな時でも あみださまと 共に生きていきます ということ
  • 念仏申すとは 親をよぶ声であるが 親を求めて 叫ぶ声ではなく 親に遇って よび返す 喜びの声 (花田正夫)
  • お念仏とは サンキューブッタ ということです
  • 腹がたつなら 念仏申せ ブツもブツブツ 南無阿弥陀仏 (源左)
  • 念仏は 身につくもので あたまで分別すべき ものではない (瓜生津隆雄)
  • 私は お念仏があるから お守りやお札は いりません (同行の言葉)
  • 念仏して何が ご利益あるんですか? 念仏申す身と なることが 大きなご利益です
  • 念仏して どうにかなるのではない どうにもならぬまま 念仏して救われる
  • 私にとって 真実に生きるとは お念仏申して 生きるしかありません
  • 真実なるものが 見つかりました という叫ぶこそ 念仏です (平野修)
  • お念仏の世界に 別れはない (中西智海)
  • 恋しくば 南無阿弥陀仏を 称うべし 我も六字の うちにこそ住め (蓮如上人)
  • 愛別離苦 この悲しみをいやし 乗り越える力を 南無阿弥陀仏が くださった
  • 良寛に辞世あるかと 人問はば 南無阿弥陀仏と いうとこたえよ (良寛)
  • お念仏は 苦悩を生きぬく 力である
  • 念仏して 苦しみがなくなる のではありません 念仏して 苦しみをのりこえて いけるのです
  • 生きんかな 本当に生きんかな ただ念仏して
  • うれしい時も 悲しい時も 淋しい時も 腹が立った時も お念仏申して 生きていきましょう
  • 念仏を称えるとき そこに仏の心が通い 仏の心がうつっている (山本仏骨)
  • せつせつと 心にせまりて 身にひびく言葉あり ナモアミダブツ
  • 称えるのでない 聞こえてくださる お念仏が私の口から こぼれてくださると 感じたとき 大きな喜びが生まれる
  • 念仏すると 苦しみの現実が 変わるのではありません どうにもならぬまま 現実が輝いてくるのです
  • 念仏申すとは 宇宙の法則に 従うこと
  • 称える念仏も 会わせる手も 信ずる心も みな他力なり
  • 念仏申すとは いま私が 阿弥陀さまと 出遇っていると いうことです
  • 人をそしらず 自慢せず 身のいたらぬを恥じて 南無阿弥陀仏
  • み仏のみ名を 称えるわが声は わが声ながら とうとかりけり

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